こんにちは。こんにちは!嬬恋村移住者のmaoです。
このブログは、嬬恋村に移住し、日々観光などの嬬恋の情報を探すmaoが書く、嬬恋の観光情報ブログです。
嬬恋村といえばキャベツ。キャベツといえば嬬恋村。
とにかく嬬恋村は毎年日本一の出荷量を誇っています。生産量はなんと、7月から10月末にかけて、およそ1億5000万個も作られます。
「嬬恋 キャベツ」で検索すると、キャベツが育つ環境や美味しい秘密などはわかるのですが、ルーツや歴史は見当たらず、長年個人的にも気になるトピックではありました。
今回は、そんな嬬恋村とキャベツの歴史にフォーカスして取材しました。
・嬬恋村はキャベツがなぜ有名なの
・嬬恋はキャベツ以外の野菜は育ててないの?
・嬬恋村のキャベツの歴史が知りたい
以上の疑問にお答えします。
貴重な嬬恋キャベツの歴史を教えて下さった方
浅間山ジオパークのジオガイドをされている下谷通さんから今回嬬恋キャベツの歴史を伺ってきました。
下谷さんは、嬬恋村とその周辺地域の歴史に精通されていることから、地域の歴史などの案内役を担っています。またキャベツのことや嬬恋とキャベツの歴史にも詳しく、キャベツ農家さんでの収穫体験に訪れた小中学生にも歴史を教えられています。
キャベツの名産地になる以前の歴史
じゃがいもと嬬恋村
今は嬬恋村の筆頭特産品の一つはキャベツですが、実はキャベツの前は、別の野菜が特産品でした。
それはなんと、「じゃがいも」です。
宮崎 光男著『嬬恋のこじゅはん くろこ−日本の暦食 嬬恋郷土料理 くろこの秘密−』発行 嬬恋村役場によると…
“松本相秀の『芋の原由記』を再び読み解いていきますと、じゃがいもは天保十五年(一八四四)年に松本家で五十俵を生産し、当時嬬恋村田代ではじゃがいもから作られるかたくり粉を特産物として現金収入の大きな柱にしていたことが記されています。凶作に陥った天明期に嬬恋村に入ってきたじゃがいもは嬬恋村の冷涼気候に強く、救荒作物として重宝され、その後、長期にわたり主力作物として、嬬恋村の産業を支えてきました。
『嬬恋のこじゅはん くろこ−日本の暦食 嬬恋郷土料理 くろこの秘密−』p13
このように、嬬恋村は避暑地と言われているだけあって冬は寒く、真冬は作物がほとんど育ちません。それは現在も変わらずです。
この『芋の原由記』が執筆された1800年代後期は、今よりもっともっと寒い気候だったので今よりももっと厳しい環境だったと言えます。
そのような厳しい環境の中で嬬恋村の人々を支えてくれた「じゃがいも」は、絞ると「かたくり粉」として販売することができたので現金収入に。そして、絞った残りかすは「嬬恋くろこ」という加工品となり、嬬恋村の人々の胃袋を支えました。
嬬恋キャベツの歴史黎明期(1931年頃〜1973年頃)
嬬恋村を襲った昭和農業恐慌
長年、嬬恋村は「じゃがいも」に支えられてきましたが、1929年に起こった世界恐慌から始まり、その影響で日本も昭和恐慌に。また1931年に起きた激しい冷害の影響、そして「じゃがいも」は疫病により、採れなくなってしまいました。
嬬恋のキャベツの歴史には3人キーパーソンがいた
戸部彪平村長(発起人)
昭和恐慌の際にまず声を上げたのは戸部彪平村長(以下、戸部村長)。戸部村長は「でかせぎに行くか、もう今の代で全てを終わりにするか」村民に問いました。それほど追い込まれていました。
農業技師の塚田国一郎(嬬恋に農業を教えた人)
嬬恋村が窮地に立たされた時、農業技師の塚田一郎が戸部村長とタッグを組んで、住み込みをして毎晩、これからの嬬恋の農業について話し合いました。
そして塚田国一郎は村民に一から農業を教えて育った農作物をお金にするところまで指導しました。
青木彦治(キャベツの種を買ってくれた人)
青木彦治は長野県上田の商人でした。当時、嬬恋村民はとにかく貧しかった。キャベツの種を買うお金もありませんでした。しかし、青木氏は「稼げるようになってから返してくれたら良い」とのことで、キャベツの種を村人に供給しました。
最初に実ったキャベツ
嬬恋のキャベツの歴史における3人キーパーソンのおかげで実った最初のキャベツは、農業技師の塚田国一郎が、車に乗せて上田に売りに行き、全て売り上げてくれたそうです。
初めて手にした“お金”
最初に実ったキャベツを、塚田国一郎が全て売り上げてくれたことを嬬恋村の村民たちは大喜びしたそうです。塚田国一郎が上田から嬬恋村に戻る際は、田代地区からお迎えが来て、鳥居峠から嬬恋までの帰り道、村民たちは塚田国一郎への感謝を讃えて、絶え間なくちょうちんを灯していたといいます。
塚田国一郎にとって、生涯忘れることができない大切な思い出になったそうです。
ちなみに…
村民のほとんどがこの時、生まれて初めてお金を手にしたそうです。
長い間貧しい生活を送ってきた嬬恋村。この昭和農業恐慌で3人のキーパーソンがいたことで、嬬恋は今でもキャベツ産業が続いていく事になります。
嬬恋キャベツ全盛期(戦後〜現在)
戦後の食生活などの後押し
戦後、食生活の西洋化が一気に進み、キャベツの消費量が増えた事によって需要も増えました。また、嬬恋村は関東で最大級の開拓者の受け入れ先になり、キャベツなどの生産量も増えていきました。
キャベツの出荷量がついに日本一に
1973年に、嬬恋村は、東京都と安定供給契約を結び、脚光を浴びることができました。
そして、翌年1974年には、神奈川県横浜市とも同契約を結ぶ事になりました。
嬬恋産キャベツの長年の安定供給を認められた背景もあり、1973年以降〜現在まで7~10月中のキャベツの出荷量は1位をキープできています。かれこれ50年以上続けることができていることになります。
嬬恋村がキャベツ出荷量日本一になる以前
ちなみに、1972年のキャベツの出荷量は岩手県岩手市が1位だったそうです。岩手市は今でもキャベツの大きな産地です。
嬬恋村がキャベツの出荷量日本一を維持できている理由
理由①春夏キャベツが指定産地になっている
一番の理由は、嬬恋村の夏秋キャベツが指定産地となっていることです。
指定産地制度とは
指定野菜は、野菜のうち特に消費量の多いものを国が定めています。
指定産地は、その指定野菜を毎年作ってくれる規模(きぼ)の大きな産地を国が指定しています。
指定野菜の価格(かかく)が安くなった場合に、来年も野菜を作ってくれるように指定産地の農家に安くなった分だけ支払う制度(せいど)があります。
指定野菜は、キャベツ、きゅうり、さといも、だいこん、たまねぎ、トマト、なす、にんじん、ねぎ、はくさい、ばれいしょ、ピーマン、ほうれんそう、レタスの14品目です。
指定産地は890産地(令和3年5月7日現在)指定しています。
農林水産省ホームページ-野菜の指定野菜と指定産地についておしえてください。(2023/05/17現在)
指定産地制度で嬬恋村の夏秋キャベツが指定野菜になっていることで、その年キャベツの生産量の大枠が計画されていて、それに沿って生産をすることで安定的に供給できるようになっています。
また、指定産地制度になった理由は、まだ嬬恋村が指定産地ではななかったころ、さまざまな地域で天候などが関係した不作で大変だった時期にも嬬恋村は安定的に東京都にキャベツを卸していた実績があったことも理由にあるようです。
理由②嬬恋産キャベツがおいしいというブランド化に成功!
また二つ目の理由として、嬬恋村の夏秋キャベツの葉が柔らかく甘みがある品種が多いことも挙げることができます。
また、この高品質のキャベツをなぜ生産できているかというと…
- 農家さんが育てる技術があるから
- 浅間山の噴火から出た火山灰の土壌があるから。『黒ボク(クロボク)』
- 朝晩の寒暖の差で旨みと甘みが凝縮する
以上が理由として挙げられます。
農家さんが育てる技術があるから
まず、農家産の育てる技術があるからという理由ですが、さまざまな場所で後継者不足、高齢化などと言われている昨今で、嬬恋村は大きな農家さんには2代目、3代目などと20〜30代の若い世代が早くから後を継いでキャベツ生産に関わっている様子をよく目にします。
後継者がしっかりと先の世代の技術を継承しつつ新しい技術を取り入れています。
浅間山の噴火から出た火山灰の土壌があるから。『黒い土(クロボク)』
嬬恋村は24000年くらい前、17000〜11000年前、また約1000年前と西暦1783年の浅間山の大噴火で火山灰土壌地帯が形成されました。
火山灰土壌のおかげで、黒い土(黒ボク土)でキャベツを作ることができています。
黒ボクは水捌けと栄養があり、品質のいい作物に、嬬恋キャベツの美味しさの秘訣になるそうです。
朝晩の寒暖の差で旨みと甘みが凝縮する
また、浅間山の大噴火が起こったことで、もともと湖だった嬬恋村は大きな高原になったそうです。
高原になったこそ標高が高いので、朝と晩の気温差が大きいことで甘くおいしくなり、高原の朝露のおかげで水々しいキャベツができます。
まとめ
- 嬬恋村はもともと「じゃがいも」の産地だった。
- 昭和恐慌で「じゃがいも」が採れなくなったことから生産が始まったのが「キャベツ」
- 嬬恋村の村長だった戸部彪平村長、農業技師の農業技師の塚田国一郎、長野県上田の商人の青木彦治の3人が発起人となって「キャベツ」を生産することができた。
- 1973年に、嬬恋村は、東京都と安定供給契約を結び、脚光を浴びることができました。
- そして、翌年1974年には、神奈川県横浜市とも同契約を結ぶ事になった。また、嬬恋村の夏秋キャベツが指定産地になっているため、安定的な供給が可能になっている。
- 1973年以降〜現在まで7~10月中のキャベツの出荷量は1位をキープできている。
- 嬬恋キャベツがおいしい理由は、農家が若い後継者を育てていること、浅間山の火山灰からなる黒い土(クロボク)、高原の寒暖差によるもの。
謝辞
本ブログ「つまごいたび」の記事作成にあたり、快く取材を承諾していただき、終始適切な助言を賜り、また丁寧に指導して下さった下谷通さま。また、じゃがいもの歴史に関しまして、参考文献や助言を下さった『嬬恋くろこ保存会』の土屋茂次さまに心から感謝いたします。
参考文献
宮崎光男『嬬恋のこじゅはん-日本の暦食 嬬恋村郷土料理 くろこの秘密-』嬬恋村役場 2023.
以上、本記事では嬬恋村とキャベツの歴史にふれてきました。
昭和恐慌でじゃがいもが採れなくなって、いよいよ生きるか死ぬかのような究極の選択を迫られた、嬬恋村の村民。天明の浅間山の噴火だけではなく、苦労はまだまだその先にもありました。下谷さんのお話から、初めて嬬恋村の先人たちの苦労を想像し、しみじみと深く感じることができました。キャベツを売って、初めてお金というものを手にしたということも非常に心打たれました。
ここまでお読みいただきありがとうございます!
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コメント
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